地中海

地中海と聞くとエーゲ海、あるいはカンヌやニースといった映画スターが闊歩しているような高級リゾート地をイメージされる方も多いのではないでしょうか。しかし、ヨーロッパにおける地中海とは、実はとてつもなく広義なもの。そもそも、なぜ「地中海」と呼ばれるようになったのでしょう。

コリウールの全景

古くは、ユダヤ人と古代ギリシア人により「海」あるいは「大海」と略称され、この海が3つの大陸の間にあることしか知らなかったため、「地中海」と呼ばれました。

英語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語などの「地中海」は、ラテン語のMare Mediterraneumに由来します。フランス百科事典『ユニバーサリス(universalis)』には、「地中海はヨーロッパ、アフリカ、アジアという3つの異なる文化圏の間に位置する海洋空間であり、文明の歴史において中心的な役割を果たしてきた。古代ギリシャ、古代エジプト、フェニキア、ローマ帝国などの偉大な民族を結ぶ、商業・文化・政治に関わる交流の場だった」と記されています。

ヴェルメイユ海岸

歴史家フェルナン・ブローデルは著書『地中海』の中で、「地中海は歴史そのもののヒロインである。閉鎖的で入りくんだ海岸線、島々、半島によって特徴づけられる地理的条件が、妬み合い、イデオロギー的に緊張した空間をつくり上げた」と、世界の歴史を持続的に形作ってきた交流の場と定義しています。つまり、歴史的に見る地中海とは単なる海ではなく、多くの文明の誕生と発展を促してきた、接触や紛争、文化的交流の歴史的空間だったのです。

コリウールの街の中心はロイヤル城の城砦

歴史の宝庫であるヨーロッパにおいて、地中海は人類文明の記憶と歴史が凝縮された結晶の地。そんな地中海はフランスから見ると、イタリア国境からスペイン国境まで実に2,057キロメートルにも及びます。その中から、カンヌやモナコといった紺碧海岸の華やかな地中海と違う表情のヴェルメイユ沿岸、フランス南西部からスペイン国境までのオキシタニー地方ピレネーアトランティック県に属する、歴史と魅力満載の4つの街をご紹介します。

国境なき地中海(左)©︎ Méditerranée Sans Frontière – Sabine Réthoré, FAL, via Wikimedia Commons
紀元前218年の地中海(右)©︎ Mediterranean at 218 BC-en.svg: Goran tek-en derivative work: Cristiano64, CC BY-SA 4.0

コリウール(Collioure)

マチスやロランにインスピレーションを与えたフォービスムの街

フォーヴィスム(野獣派)の画家アンリ=マチス(Henri Matisse)やアンドレ=ドラン(André Derain)が当時の画壇をあっと言わせるようなスタイルを生み出したのがコリウールでした。

フランス人にも大人気のこの港町。海岸沿いの城砦を背に一本路地に足を踏み入れると、まるでマチスの絵画の中にいるようなカラフルな街並みが迎えてくれます。彼らをインスパイアさせた「フォーヴィスムの道(Chemin du Fauvisme)」を歩けば、2人が暮らしていた1905年のコリウールを旅している気分に。夏のバカンスシーズン前が、比較的ゆっくりと楽しめる季節かもしれません。

Henri MATISSE『開いた窓(The Open Window, Collioure)1905』©︎ Henri Matisse, Public Domain, via Wikimedia Commons

ポールヴァンドル(Port-Vendres)

ポールヴァンドルの港で売られる新鮮な魚介類

コリウールからほど近いポールヴァンドルは、200年の歴史をもつ現役の港町。コリウールが漁港だったのに対し、地理的優位性をもつポールヴァンドルの深海港は、貨物港や軍事港としても重要視されてきました。フランスがアフリカから輸入するバナナやパイナップルなどのフルーツは、現在もこの港に陸上げされているのだそう。

ポールヴァンドルの港

街自体は小さく、コリウールから車で5~6分、ハイキングコースを歩いて45~50分ほど南下すると目の前に開ける港を見下ろす丘陵地には多くの別荘もあり、時間の流れは優雅で穏やか。天気の良い週末ともなると、パノラミックに広がるワイルドで美しい景観で知られるヴェルメイユ海岸線を望むハイキングコースや、スキューバダイビング目当てにやってくる人々で、マリーナを中心に賑わいます。

バニュルスシュルメール(Banyuls-sur-Mer)

バニュルスシュールメールの街

ポールヴァンドルからさらに国道をスペイン国境に向かった所にあるバニュルスシュルメールは、19世紀にワイン貿易によって栄えました。その起源は非常に古く、遡ることローマ時代。

中世には漁業や海上交易、ブドウ栽培によって発展しました。住民たちは乾いた石の急斜面に段々畑を開墾してブドウを栽培し、何世紀にもわたって受け継いできました。今日でも無形文化遺産としてこの地の美しい景観をつくっています。想定樹齢200年にもなるブドウの木や熟成樽などを見学できるワインのドメーヌ観光もお勧めです。

地下約30メートルまで根をはるブドウの木は、暑さにも乾燥にも強い

バニュルス、あるいはヴァンキュイ(vin cuit)も忘れてはなりません。天然のこっくり甘いこのデザートワインの名声は13世紀頃から高まりはじめ、1936年にはフランスで最初期の公式認定原産地の一つであるAOCバニュルスを取得しています。その名称からもわかるとおり、バニュルスシュルメールはこの歴史あるワインの産地です。

レティラーダの街、セルベール(Cerbère)

スペイン風の建物が残るセルベール(左)
海洋保護地区であるセルベールにはソルボンヌ大学の研究分室もある。スキューバダイビングも盛ん(右)

最後にご紹介するセルベールは、スペイン国境線に位置する最後のフランスの街。歴史的に人口の少なく、主にフランスとスペインを行き来する漁師や旅行者が利用してきました。

セルベールの発展は、1878年の鉄道の到来と共に始まります。スペインとフランスの鉄道の幅が異なるため、貨物も乗客もセルベールで列車を乗り換えなければならなかったことから、両国間の戦略的な拠点となり、国境を越えた交易と交換を通じて急速に成長したのです。

この街に現存する数少ない歴史的建造物の中で、地中海を望むように建てられ1932年にオープンしたベルヴェデールホテル(Hotel Belvedere)が、街の繁栄の歴史を後世に伝えます。当時の客船から着想を得たという、建築家レオン・バイユ(Léon Baille)による独特な建築様式は世界初の鉄筋コンクリート建築とされ、2002年には歴史的記念物に指定されました。現在も文化イベントの会場として利用されている他、客室はアパートメントへと改装されています。30年代から時が止まったかようなスタイルの絶景アパートメント。その贅沢な滞在が、最近フィガロ紙でも話題になっていました。

世界最古の鉄筋コンクリート造り、ホテルベルヴェデール
©︎ Bloovee at English Wikipedia, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

今では海辺を散歩する老人や、たまに見かける観光客の姿しかないセルベールですが、実は歴史探訪スポットでもあります。スペイン内戦(1936〜1939年)時には、紛争から逃れて国境を越えてくる多くのスペイン難民を受け入れるという重要な役割を果たしました。こうしたスペイン人の大規模な追放を「レティラーダ(スペイン語で”撤退”の意) 」といいますが、フランスでは難民たちも同様にレティラーダと呼ばれます。地元の人々が、「あれも、あの建物もレティラーダのものだ」と指さして教えてくれた先には大きな邸宅が取り壊されずに残っていました。

この地域はまた、第二次世界大戦中に、レジスタンスや占領下のフランスから脱出しようとする人々の越境ルートとしても利用されたヨーロッパ史上とても重要な〈記憶の場所〉として認識されます。

自然、好天気、歴史、そして食が一度に楽しめる

美しく壮大な景観、温暖な気候、おいしい食べ物や陽気な人々の中で、過去の暗くて重い歴史の影も随分と薄くなってきているようではありますが、それでも折に触れて直面する幾多の苦難を乗り越えてきた歴史がある、地中海ヴェルメイユ海岸の旅で、初夏のフランスの文化を楽しんでみてはいかがでしょう。

コリウールのホテル、デ・トロワ・マ(des Trois Mas)のレストラン(左)
デ・トロワ・マはコストパフォーマンスがよく、お勧め(中央)
コリウールで牡蠣三昧ランチ(右)

INFORMATION
テール・デ・タンプリエ(Terres des Templiers Vins de Collioure & Banyuls)のドメーヌ訪問
ベルヴェデールホテル(Hotel Belvedere)
デ・トロワ・マ(des Trois Mas)

投稿者プロフィール

兒玉ゆきこ / Yukiko Kodama
兒玉ゆきこ / Yukiko Kodama
立教大学文学部日本文学科卒業後フランス外資企業にてマーケティングと広報に従事。2004年よりフランス在住。18歳と15歳になる日仏ダブルカルチャーの娘たちの母業、通訳やコンサルタント業、そして執筆業を営んでいます。近年は、フランスで日本語および日本文化の講師、また歴史研究などアカデミックな生活を日々堪能しています 。
https://living-in-eu.com/wp-content/uploads/2026/05/13_2606_vermeille_top.jpghttps://living-in-eu.com/wp-content/uploads/2026/05/13_2606_vermeille_top-150x150.jpg兒玉ゆきこ / Yukiko Kodama地中海 地中海と聞くとエーゲ海、あるいはカンヌやニースといった映画スターが闊歩しているような高級リゾート地をイメージされる方も多いのではないでしょうか。しかし、ヨーロッパにおける地中海とは、実はとてつもなく広義なもの。そもそも、なぜ「地中海」と呼ばれるようになったのでしょう。 コリウールの全景 古くは、ユダヤ人と古代ギリシア人により「海」あるいは「大海」と略称され、この海が3つの大陸の間にあることしか知らなかったため、「地中海」と呼ばれました。 英語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語などの「地中海」は、ラテン語のMare Mediterraneumに由来します。フランス百科事典『ユニバーサリス(universalis)』には、「地中海はヨーロッパ、アフリカ、アジアという3つの異なる文化圏の間に位置する海洋空間であり、文明の歴史において中心的な役割を果たしてきた。古代ギリシャ、古代エジプト、フェニキア、ローマ帝国などの偉大な民族を結ぶ、商業・文化・政治に関わる交流の場だった」と記されています。 ヴェルメイユ海岸 歴史家フェルナン・ブローデルは著書『地中海』の中で、「地中海は歴史そのもののヒロインである。閉鎖的で入りくんだ海岸線、島々、半島によって特徴づけられる地理的条件が、妬み合い、イデオロギー的に緊張した空間をつくり上げた」と、世界の歴史を持続的に形作ってきた交流の場と定義しています。つまり、歴史的に見る地中海とは単なる海ではなく、多くの文明の誕生と発展を促してきた、接触や紛争、文化的交流の歴史的空間だったのです。 コリウールの街の中心はロイヤル城の城砦 歴史の宝庫であるヨーロッパにおいて、地中海は人類文明の記憶と歴史が凝縮された結晶の地。そんな地中海はフランスから見ると、イタリア国境からスペイン国境まで実に2,057キロメートルにも及びます。その中から、カンヌやモナコといった紺碧海岸の華やかな地中海と違う表情のヴェルメイユ沿岸、フランス南西部からスペイン国境までのオキシタニー地方ピレネーアトランティック県に属する、歴史と魅力満載の4つの街をご紹介します。 国境なき地中海(左)©︎ Méditerranée Sans Frontière - Sabine Réthoré, FAL, via Wikimedia Commons 紀元前218年の地中海(右)©︎ Mediterranean at 218 BC-en.svg: Goran tek-en derivative work: Cristiano64, CC BY-SA 4.0 コリウール(Collioure) マチスやロランにインスピレーションを与えたフォービスムの街 フォーヴィスム(野獣派)の画家アンリ=マチス(Henri Matisse)やアンドレ=ドラン(André Derain)が当時の画壇をあっと言わせるようなスタイルを生み出したのがコリウールでした。 フランス人にも大人気のこの港町。海岸沿いの城砦を背に一本路地に足を踏み入れると、まるでマチスの絵画の中にいるようなカラフルな街並みが迎えてくれます。彼らをインスパイアさせた「フォーヴィスムの道(Chemin du Fauvisme)」を歩けば、2人が暮らしていた1905年のコリウールを旅している気分に。夏のバカンスシーズン前が、比較的ゆっくりと楽しめる季節かもしれません。 Henri MATISSE『開いた窓(The Open Window, Collioure)1905』©︎ Henri Matisse, Public Domain, via Wikimedia Commons ポールヴァンドル(Port-Vendres) ポールヴァンドルの港で売られる新鮮な魚介類 コリウールからほど近いポールヴァンドルは、200年の歴史をもつ現役の港町。コリウールが漁港だったのに対し、地理的優位性をもつポールヴァンドルの深海港は、貨物港や軍事港としても重要視されてきました。フランスがアフリカから輸入するバナナやパイナップルなどのフルーツは、現在もこの港に陸上げされているのだそう。 ポールヴァンドルの港 街自体は小さく、コリウールから車で5~6分、ハイキングコースを歩いて45~50分ほど南下すると目の前に開ける港を見下ろす丘陵地には多くの別荘もあり、時間の流れは優雅で穏やか。天気の良い週末ともなると、パノラミックに広がるワイルドで美しい景観で知られるヴェルメイユ海岸線を望むハイキングコースや、スキューバダイビング目当てにやってくる人々で、マリーナを中心に賑わいます。 バニュルスシュルメール(Banyuls-sur-Mer) バニュルスシュールメールの街 ポールヴァンドルからさらに国道をスペイン国境に向かった所にあるバニュルスシュルメールは、19世紀にワイン貿易によって栄えました。その起源は非常に古く、遡ることローマ時代。 中世には漁業や海上交易、ブドウ栽培によって発展しました。住民たちは乾いた石の急斜面に段々畑を開墾してブドウを栽培し、何世紀にもわたって受け継いできました。今日でも無形文化遺産としてこの地の美しい景観をつくっています。想定樹齢200年にもなるブドウの木や熟成樽などを見学できるワインのドメーヌ観光もお勧めです。 地下約30メートルまで根をはるブドウの木は、暑さにも乾燥にも強い バニュルス、あるいはヴァンキュイ(vin cuit)も忘れてはなりません。天然のこっくり甘いこのデザートワインの名声は13世紀頃から高まりはじめ、1936年にはフランスで最初期の公式認定原産地の一つであるAOCバニュルスを取得しています。その名称からもわかるとおり、バニュルスシュルメールはこの歴史あるワインの産地です。 レティラーダの街、セルベール(Cerbère) スペイン風の建物が残るセルベール(左) 海洋保護地区であるセルベールにはソルボンヌ大学の研究分室もある。スキューバダイビングも盛ん(右) 最後にご紹介するセルベールは、スペイン国境線に位置する最後のフランスの街。歴史的に人口の少なく、主にフランスとスペインを行き来する漁師や旅行者が利用してきました。 セルベールの発展は、1878年の鉄道の到来と共に始まります。スペインとフランスの鉄道の幅が異なるため、貨物も乗客もセルベールで列車を乗り換えなければならなかったことから、両国間の戦略的な拠点となり、国境を越えた交易と交換を通じて急速に成長したのです。 この街に現存する数少ない歴史的建造物の中で、地中海を望むように建てられ1932年にオープンしたベルヴェデールホテル(Hotel Belvedere)が、街の繁栄の歴史を後世に伝えます。当時の客船から着想を得たという、建築家レオン・バイユ(Léon Baille)による独特な建築様式は世界初の鉄筋コンクリート建築とされ、2002年には歴史的記念物に指定されました。現在も文化イベントの会場として利用されている他、客室はアパートメントへと改装されています。30年代から時が止まったかようなスタイルの絶景アパートメント。その贅沢な滞在が、最近フィガロ紙でも話題になっていました。 世界最古の鉄筋コンクリート造り、ホテルベルヴェデール ©︎ Bloovee at English Wikipedia, CC BY-SA 3.0,...欧州13カ国のリアルな生活情報を網羅。プラハやワルシャワの最新トレンドから、スイスの高度な医療、オランダの住宅事情まで。移住検討者が「一番知りたかった」一次情報を、データと現地の声で届けます。